Mar 04, 2010

観光地ではない名古屋の戦い

名古屋といえば、ヒルトン観光ホテルウェスティンの重鎮と言った感じでしたが、マリオットの登場で少し雰囲気が変わったような気がするなど。名古屋のホテルは、旅行ではあまり使用されない。そこでどのようにお客さんが、日常生活から抜け出した気分が味わえるホテルが4軒のホテルがどのように戦っていくのか見物です。そして名古屋といえば、"結婚式"。様々なアイデアで顧客を含むかどうか関心だ。
今はインターネットやクレジットカードがあれば、日本だけでなく海外ホテルの予約も簡単になってしまいます。以前は旅行会社にお願いして、ホテルの予約や航空券の準備をしていましたが、今では簡単に自分でいくつか選択して予約できるので嬉しいです。また、インターネットを使用すると、本当に多くのホテルや旅館の中から選択してくださいまた、安価なものを見つけることができた。
 被災地にサクラサク―。壊滅的な被害を受けた陸前高田市の県立高田高で16日から延期されていた合格発表が22日、行われた。9日の試験では何ともなかった同校の校舎は、巨大津波にのみこまれ跡形もなくなり、県立大船渡高(大船渡市)で異例の2校合同発表。かたずをのんだ受験生に発表されたのは、「全員合格とする」の掲示。高田高に186人の新入生が誕生した。募集定員は200人だった。

 こんなに心から笑えたのは、いつ以来だろう。「ヤッター! ヤッター!」。午後3時、掲示板の前で歓喜がはじけた。新沼夏菜さん(15)は母・誠子さんの行方を必死で捜している最中。「とりあえずよかった。吹奏楽など部活動をがんばりたい」。笑顔を見せた。佐々木謙次郎くん(15)もまた、母・美公さんが行方不明。家も流され、父の会社がある千厩町の高校へ転入する予定だ。それでも「軽音楽でギターをやりたい。地球環境の勉強もしたい」。期待に胸を膨らませる。野球部での活動に思いをはせる金野樹くん(15)は「甲子園を目指したい。地域の人に勇気を与えるようなプレーをしたい」。力を込めた。

 校舎が消滅した同校は、近隣の高校か廃校を利用して授業を行う予定だが、詳細は決まっていない。学校の書類もデータもすべて消滅。工藤良裕校長は「名簿作り、住所録、シラバス作成、入学のしおり、やることは山ほどある」と頭を抱える。震災の傷痕は簡単には癒えない。それでも「僕らが大人になって新しい街を作れるよう、仲間たちとがんばりたい」と寺崎優斗くん(15)。新生活への夢や希望を若人たちは抱いている。

 ◆卒業生久々の再会 高田高の卒業生が被災後、初めて集合。久々の再会に抱き合って喜んだ。市内には消滅した企業があるなど、卒業後の進路に、不安はぬぐえない。ただ、佐々木慧助くん(18)は「地元を元に戻すには若い力が必要だと思った」と仙台の美容師の専門学校行きを取りやめ、地元でボランティアをする道を選んだ。

 高田一中の避難所暮らしの鈴木帆南美さん(18)は、「若い人がやるべき」。被災者ながらボランティア活動に従事。駒大に進学する村上貴一くん(18)は「津波や地震の研究をして、国交省などで働くことも考える」。ありえない苦境になって、卒業生たちはしなやかに力強く羽ばたこうとしている。

 

 東日本大震災による東京電力福島第1原発の事故で、東電は22日午前8時頃、安全機器の復旧作業を約16時間ぶりに再開した。この日の作業で3号機などに外部電源が接続し、6基すべてで外部からの電力供給準備が完了した。点検を進め、中央制御室などの復旧を目指す。消防も1日半ぶりに3号機の使用済み核燃料プールへの放水を再開。4号機への放水には「生コン圧送機」が初投入された。

 復旧作業再開で、外部電源と原発の全号機がつながった。21日午後4時前、3号機で灰色がかった煙が発生したのに続き、2号機でも白い煙が発生。22日朝も両号機で白い煙のようなものが上がった。発煙以来、作業員は屋内に退避し、作業は中断していた。この日、東電は作業の支障にならないと判断し、再開に踏み切った。

 北沢俊美防衛相は、「2号機からの煙は放水などによる水蒸気、3号機の煙は温度上昇に伴い油か何かの残がいが燃えたのではないか」との見方を示した。また、正門付近の放射線量も、煙が出た21日午後から22日朝にかけては低下。放射性物質を含む煙ではないとみられている。北沢大臣は「(原発の)変化が激しく、国民に安心感を与えるため」にヘリでの温度測定を雨天以外、毎日実施することも明かした。

 作業再開により、復旧作業は進み、東電によると、午後に最後の3号機への外部電源接続作業が完了。6基すべてで外部からの電力供給が可能になった。冷却機能回復に向け、まずは中央制御室の完全復旧が急務。各種測定装置や、遠隔操作機器を備える制御室は、原発の“頭脳”。事故後、満足に機能していなかった。

 中枢が完全回復すれば、効果的な対策が望める。この日午後10時43分には3号機の制御室の照明が点灯。暗闇の中、携帯電灯に頼ってきた作業環境は、やや改善され、計器類などの復旧にもめどが立ってきた。

 一方、使用済み燃料プールへの放水作業もこの日、再開した。21日未明まで3号機に連続放水した東京消防庁などは、22日午後3時10分頃開始。現地入りしていた大阪市消防局と連携して、約1時間にわたり水を送った。放水量は150トン。

 4号機への放水には、「生コン圧送機」が初めて投入された。午後5時15分頃、放水開始。生コンクリートを高所に運ぶ圧送機は、中身を入れ替えての放水も可能で、長さ50メートル以上のアームを伸ばし、4号機建屋の開口部から燃料プールをピンポイントで狙える。モニターを見ながら、遠隔操作方法を習った東電社員が操作。放水は午後8時半頃まで3時間以上続いた。圧送機は、複数台準備されている。

 各号機の動向を注意深く見守りながら、進められる作業。危機脱却への動きは大詰めに差し掛かっている。

 

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