Apr 04, 2011
友人があったのでよく通っていた名古屋のホテル
昔、インターネットで名古屋の友人がいたのでよく名古屋まで行って、名古屋のホテルに宿泊して遊びました。しかし、些細なことで対立してしまい、再び名古屋なんか行くのだろうかと思っていました。その時からの友達と全く一致していませんが、日に名古屋のホテルを利用します。友人から教えられた店はもう忘れてしまいました。今はインターネットやクレジットカードがあれば、日本だけでなく海外ホテルの予約も簡単になってしまいます。以前は旅行会社にお願いして、ホテルの予約や航空券の準備をしていましたが、今では簡単に自分でいくつか選択して予約できるので嬉しいです。また、インターネットを使用すると、本当に多くのホテルや旅館の中から選択してくださいまた、安価なものを見つけることができた。
東日本大震災で殉職した警察官は宮城県で6人、岩手県で4人、福島県でも1人いる。市民の命を守るために自らの危険を顧みずに飛び出し、犠牲となった。津波にのみこまれた2人の警察官の軌跡を追った。
「大谷駐在所史上、最高の駐在さん」。宮城県警気仙沼署大谷駐在所の千田浩二巡査部長(30)の地域での評判はそうしたものだった。
昨年11月、神社の行事で警備に就いていたとき、お清めとして海に入る住民に交じって自らも海に入った。地域の人たちにとっても予期せぬ行動だった。
駐在所近くに住む岩下勝重さん(66)は「いきなり服を脱ぎだしたのでびっくりした。積極的に住民に入ってきてくれる人でした」と話す。
大谷に来て始めた釣りに没頭し、「老後は大谷に家を買って住みたい」と話していたという。
地震発生直後、海岸近くに人がいるのを千田さんが発見。ためらうことなくパトカーを走らせた。「海岸へ行く」。窓越しに同僚にジェスチャーで伝えたのが最後の姿になった。
千田さんの同僚はパトロールの途中、海から巨大な津波が押し寄せてくるのに気付き、高台の方向に逃げたが、目の端に千田さんのパトカーがのまれ、海に流されていくのが映った。
昨年4月、一緒に駐在所に赴任した妻(30)と長女(4)、長男(3)は無事だったが、津波で駐在所の半分がえぐりとられるように損壊した。
がれきの中からヘルメットが見つかった。毎日のように町内をバイクで回り、「困ったことはないですか」と話しかけていたその声は、今は聞こえない。
宮城県警岩沼署生活安全課の早坂秀文警部補(55)も地震の日、同僚数人と一時約1200人が孤立した仙台空港近くの沿岸部に避難誘導に向かい音信不通になった。
遺体が発見されたのは、3日後の14日午後4時ごろ。海岸から1キロほど離れた民家の敷地内に倒れていた。ほかの同僚と、乗っていた車両はまだ見つかっていない。
2人の孫のおじいちゃんでもあった。仙台市の一戸建ての家の隣に30平方メートルくらいの土地を買い、白い柵で囲われた小さな公園を造った。その芝生で小学生の孫とキャッチボールに興じるのを近所の人はよく見ていた。
3人兄弟の末っ子。「家族ぐるみでつきあっていた近所の交番のお巡りさんに『就職難なら警官になれば』と誘われたのがきっかけ」と母の桂子さん(85)は語る。兄の秀明さん(60)も「あまりにおとなしいので、務まるのか不安だった」と苦笑する。
非番の日も地域の講習会に顔を出し、お年寄りらに振り込め詐欺の被害防止策を熱心に説いた。秀明さんは「弟を誇りに思う気持ち、悔しい気持ちが半々です」とうつむいた。(中村翔樹、奥田翔子)
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東日本大震災で津波に襲われた岩手、宮城、福島の3県では、海岸の堤防約300キロのうち、6割超にあたる計約190キロが全半壊したことが19日、国土交通省の調査で分かった。航空写真を分析したところ、仙台湾南部の宮城県山元町では高さ6メートルの堤防が倒壊するなど3県の海岸沿いが水につかった。
また、東北地方では鳴瀬川、阿武隈川、北上川で、関東地方では利根川、那珂川の堤防が破損。首都圏の洪水防御上の最重要堤防と位置づけられる埼玉県幸手市の江戸川右岸の堤防も崩れ、応急復旧した。国交省によると、東北から関東にかけて海岸と河川の堤防は少なくとも計1226カ所が被害を受け、梅雨までに71カ所の緊急復旧が必要になるという。【石原聖】
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東日本大震災の被災地に向かう交通機関が徐々に復旧する中、週末の19日には遠方から家族の安否を確かめようと駆けつけた人たちの姿があった。ようやくたどり着いた故郷はがれきの山。やっと会えた家族の姿に安堵(あんど)する人もいれば、途方に暮れる人もいた。【鈴木一生、山本将克、近松仁太郎、服部陽】
岩手県花巻市の花巻空港にこの日、北海道から母を捜しに会社員、上野泰昌さん(51)が降り立った。
「ああ。何にもない」。同県大槌町の中心部につながるトンネルを抜けると、変わり果てた惨状に思わず声を上げた。市街地は津波で壊滅的な被害を受けた。母静子さん(74)は約2年4カ月前から1人暮らしをしていた。
地震の日、上野さんは数百回、実家に電話したが不通。インターネットでも確かな安否情報は得られず、「心配で夜も寝付けなかった」。飛行機が予約できたのは18日だった。
「家だ。家があった」。車窓から被災を免れた実家を発見し大声を上げた。中に飛び込むと静子さんが1階居間の椅子に座っていた。
「おお。生きとった。生きとった。帰ってきたぞ」と上野さん。静子さんは突然の息子の訪問に驚き椅子から立ち上がれない。あふれる涙を抑えるのがやっとだった。「よく来た。よく来た」。上野さんの袖をつかみしばらく離さなかった。
同県大船渡市でも親子が再会した。自宅を失い避難生活を送る中村中(あたる)さん(78)と妻玲子さん(75)は、秋田県潟上市から駆けつけた長女の近藤智子さん(51)と肩を抱き合った。
智子さんは14日朝、避難所の衛星電話で玲子さんから「無事」の一報は受けた。すぐに帰省したかったが、道路は寸断され、「ガソリンも入れられず、何にもできなかった」。
不安な夜を重ねてきたが道路が復旧し、4時間かけて避難所にたどり着いた。玲子さんは「拾って届けてくれた人がいたの」と泥まみれのアルバムを手渡した。小学校の運動会で元気に走る孫の姿。写真を見つめる親子の目に涙があふれた。
両親の行方が分からず、途方に暮れる人もいた。盛岡市の中学校教諭、高橋浩幸さん(50)はガソリン不足で動けず、この日、初めて岩手県山田町織笠の実家の様子を見に来た。海岸から約50メートルの瓦屋根の2階建ては押しつぶされ、屋根の家紋で実家と分かった。
父徳治さん(74)と母カチさん(72)は行方不明のまま。高橋さんは「この状態を見たら、逃げ遅れたとしか思えない。どこかで生きていたら連れて帰ろうと思ったが……」とつぶやいた。
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